知多西国三十三所霊場由緒





知多西国三十三所霊場と知多四国霊場を併合させた古地図 【明治九年(1876)】
 


『知多西国三十三所霊場』は明和七年(1770)に岩屋寺中之坊の智善上人が尾州知多郡に開創されました。《岩屋寺誌には宝暦三年(1753)と記述》

慶長(1596〜1615)の頃に岩屋寺奥之院に賊が忍び入り安置されていた聖観世音菩薩像を盗取し、久村浜にて大船に載せましたが不思議なことに船が動かなかったのであります。あらゆる手を尽くしても大地に打ち付けられた様に動かぬ船に盗賊は心身共に疲れ果てました。その時、賊の心に閃いた霊感があったのです。己の所業を慚愧し、直ちに引返して元の岩屋寺奥之院に聖観世音菩薩を戻し奉りました。そして、自らの犯した大罪の報いを恐ろしく感じて遂には発心して出家し懺悔の生活に入ったと伝わります。大慈大悲の観世音菩薩はありとあらゆる手を差し伸べて私達を「善」に導いてくださっているのです。

風光明媚な知多半島には知多西国三十三所霊場をはじめ知多四国霊場(新四国)など幾多の札所がありますが、その中でも殊に重みと歴史あるこの霊場が悲しいことですが忘れられようとしております。しかし、幸いなことに『當郡西国』『郡中西国』の石柱をはじめ、御詠歌奉納額が残されている札所もあります。

西国三十三所は花山法皇の一千年御忌に際し結縁御開帳(平成20年9月1日より平成22年5月末)で慈悲の心の覚醒を呼びかけております。また、平成20年に開創二百年を迎えた知多四国霊場(新四国)の基盤となったのではなかろうかと推測されておりますこの『知多西国三十三所霊場』を多くの方々に巡礼いただき、古より伝わる観世音菩薩のお慈悲の心にふれていただければと願うばかりです。 

合 掌