石標 石塔

 

今日の一枚で紹介しました知多西国の歴史ある文化遺産の石柱・石塔を連載いたします。


 



  第17番 慈光寺にある石標です。

  読みづらいのですが、

 「
西国第十七番

   四国六十九番」

  と刻まれています。

(2010/05/17〜2010/07/25)


 



  第23番 清水寺にある石柱です。

 「
當郡

   西国弐拾三番 新四国八拾五番 札所 観音堂

  と記されたお百度石です。

  裏面には嘉永庚戌三年(1850)二月吉日とあります。

 (2010/03/04〜2010/04/16)

 



  第30番 観音寺の観音堂前にある石柱です。

 「
當郡

   三十番 観世音菩薩

   十番 弘法大師

  と記されています。 柊の木が覆いかぶさり、わかりにくい石柱ですが知多西国の
  30番と知多四国の10番をあらわした貴重な石柱です。

 (2010/02/16〜2010/03/03)

 

 

  第6番 神護寺の山門前にある石柱です。

 「
六ばん札所」

  と記されています。

   (2009/11/07〜2009/11/22)

 

 

  第28番 常福寺の観音堂に昇る階段の右手にある石柱です。

 「
西國二八番 新四国六番」

  と正面にあり、裏には

  「維 文化十 癸酉  三月吉日

   万年山 現住 無道」

  と刻まれています。

 
(2009/10/15〜2009/10/27)


 

 

 第5番 極楽寺の参道の石柱です。

 「郡中五番札所 極樂寺」

 とあり、向かって右には 

  「弘法大師

  初神 二十丁

  中須 九丁

  岩屋 三十丁」

  と刻まれています。

    初神(はじかみ)は3番恩徳寺、中須は4番影向寺、岩屋は1番岩屋寺と2番奥之院
  のことを指しています。ちなみに極楽寺の裏山が弘法大師ゆかりの求聞持山です。

(2009/09/24〜2009/10/01)
 


 

 

 第9番 持寶院の観音堂正面に移転された石柱です。

 当初は山門の左脇にありましたが平成21年8月17日に設えられました。

 「當郡三十三所 第九番札所」とあり

  向かって右には

  「如意輪観世音菩薩」

 と刻まれております。

 (2009/09/05〜2009/09/13)
 


 

 

 第13番 洞雲寺の観音堂前にある石柱です。

 「當郡 西国十三番 新四国六十二番 札所 樽水村 洞雲寺」

 と正面に彫られ、向かって右には

 「文政十亥年(1827)十月建立 寄進者」

 向って左には

 「これよ里 東へ 二丁也」

 と刻まれております。

※この石柱は洞雲寺近くの民家に維持してあり、ご縁で平成21年に納められました。石柱の尊さに気づき自宅で維持いただいた故竹内恭平氏に感謝いたします。
知多四国の歴史を紐解きますと文政七年(1824)に札所が調った経緯がございます。向って右に西国と記してありますのは新四国が西国を基礎とし立てていた証になります。

(2009/08/09〜2009/08/15)
 

 


 第16番 三光院にある石柱です。

「郡西國第十六番」と正面にあり向って左には

「嘉永二 酉五月 弘法講中」とあります。

 ※嘉永2年は西暦1849年です。

(2009/07/23〜2009/07/31)
 

 

 第27番 普門寺の山門入口にある石柱です。

「當郡西國」とあり文字の頂には観音さまのお姿が彫られています。年代不詳

(2009/07/08〜2009/07/14)
 

 

第10番 来應寺の寺院山門の石柱です。

「當郡西国 第十番 観世音菩薩札所」の文字が確認できます。

石柱の裏には嘉永元年(1848)とあります。

(2009/06/23〜2009/06/30)